高野山にある杉山和一(杉山検校)先生のお墓にお参りしました。
2019年8月8日(木)
こんにちは、和歌山県橋本市を拠点に活動しております蓬庵(よもぎあん)のワダです。ブログをご覧いただきありがとうございます。
今日は夕方まで時間ができたので、お盆の期間でもありますので高野山に行ってきました。
高野山と杉山和一先生のお墓
杉山和一先生
杉山和一先生は、現代の日本で主流となっている管に鍼をいれて刺す管鍼法(かんしんほう)を着想し、鍼術の普及と発展にとても寄与された先生です。
学校でも最初に習うので、日本の鍼灸師で名前を知らない人はいないと思います。
今回のブログ記事は動画でも少し補足をしています。
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高野山の墓所
先月の東京出張のときに江の島にある杉山和一先生の墓所にお参りさせて頂いたのですが、実は高野山の奥の院にもあるという情報が、杉山検校遺徳顕彰会ホームページに記載されているのを学生の頃から知ってはいました。
高野山に行くたびにさがしていたのですが、「参道の武田信玄墓地を右に見て少し上った所にある。墓所への入り口に「管鍼開祖杉山検校之墓」と記した道標がある。」というホームページに記載してくれている情報では見つけることができずにいました。
ですが、ようやく今日はご縁があったようです。
墓所の場所
奥の院の入口となる「一の橋」から御廟にむかう参道の途中にあります。
「中の橋」の駐車場から向かう場合は、途中から御廟とは反対方向に戻ることになります。ここでは「一の橋」からの案内となります。
まず目印となるのが「一の橋」から歩いていくと参道の右側にある武田信玄・勝頼の墓所です。
右側をみながらさらに参道を進んで行きます。
少し行くと、紀州徳川家二代光貞・三代綱教・四代頼職・六代宗直の墓所が右側に見えてきます。ここまでくるともうすぐです。
右側の脇にある道標を注意深くみて進んで下さい。
大阪市船戸家墓所入口、普門院正海師御墓所入口という道標にならんで、管鍼開祖杉山検校之墓という道標があります。ここを右にまがります。
注意深くさがしているつもりだったのですが、今まで見過ごしていました。
道標の場所を右にまがり少し進んだ右側にあります。
これが墓所の正面になります。
「杉山総検校」を中心として「奉道立為 贈正五位 報恩謝徳 斯道興隆」と書かれています。
またその隣には「鍼醫吉田弘道墓」とあり吉田弘道先生のお墓もあります。
高野山の杉山和一先生のお墓は、吉田弘道先生の願いに基づいて昭和14年3月28日に、吉田弘道先生の長男にあたる方が建立されたそうです。
ですので杉山和一先生のお骨などはこちらに入っていないと思うのですが、高野山にお墓を建立したいと思われた思いは引き継ぎたいと以前から思っていました。
鍼灸師で高野山に参拝される方は少なからずいます。
しかしこの場所を知っている先生というのは本当にわずかだと思います。お墓は誰かが守らないとどんどんと荒れてしまいます。
もし高野山に参拝することがありましたら、ぜひこちらにも足を運んで頂けたらと思います。
ようやくたどり着けましたので、お線香をあげさせていただきました。
今後は高野山にきたときにはお参りさせて頂こうと思います。
金剛峯寺
お盆ですので金剛峯寺では切子灯籠が風で揺れていました。この時期にしかみることはできません。
奥の院 参道
今日は参拝が目的だったのでカメラはもっていなかったので、少しだけ気になった風景をスマホで撮りました。苔むす感じが好きです。
一石五輪塔も形が様々で好きです。多くの墓石は高野山の石ではなく、様々な地域から持ち込まれています。この一石五輪塔も家族の供養のために歩いて奥の院まで運ばれたのだと思います。
参道を整備する際に多く出土したそうです。今も埋まっているものが多くあります。奥の院の参道を歩かれるときはそういう場所だということを忘れてはいけません。
奥の院 水行場
奥の院にある玉川の水行場が涼しげだったの撮りました。今の季節ですから水の流れがとても心地よいです。
そして真冬の雪が積もる頃にも行(修行)はおこなわれます。
ランチ
お昼は中央食堂さんぽうさんで胡麻豆腐たっぷりのランチをいただきました。ほとんどが胡麻豆腐でできています。とてもヘルシーです。