三柱鳥居がある京都の木嶋坐天照御魂神社へ行きました。
2020年3月24日(火)
こんにちは、東洋医学で健康を考える蓬庵(よもぎあん)のワダです。ブログをご覧いただきありがとうございます。
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木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)
概要
3月22日(日)に勉強会の帰りに晴明神社とともに木嶋坐天照御魂神社にも参拝しました。
後半に写真がでてきますが、この神社にある珍しい三柱鳥居(みはしらとりい)を見てみたいというのがきた理由でした。
以前、南禅寺大寧軒(だいねいけん)の庭園で三柱鳥居(みはしらとりい)を見たことがあり、それは木嶋神社の鳥居を模したものだと説明があり気になっていました。
また、私が知っているものでは奈良県桜井市の大神神社のお膝元にある大神教会にも三柱鳥居があります。でも新しいもので神秘的な感じはしません。
京都府京都市右京区太秦森ケ東町に鎮座する神社で、木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみむすびじんじゃ)と読みます。
・木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみむすびじんじゃ)
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
大国魂神(おおくにたまのかみ)
穂々出見命(ほほでみのみこと)
鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
瓊々杵尊(ににぎのみこと)・蚕養神社(こがいじんじゃ)
保食神、蚕の神、木花咲耶姫命所在地:京都府京都市右京区太秦森ケ東町50番地
最寄り駅:京福電車蚕の社駅、地下鉄東西線太秦天神川駅、JR花園駅
とても名前が長いですが、地元では通称として木嶋神社(このしまじんじゃ)と呼ばれています。
また、蚕の社(かいこのやしろ)としても有名だそうです。朝鮮半島を経由して渡来した秦氏に関わりがある神社とされ、秦氏は養蚕、機織、染色技術などの技術を日本に持ち込みました。
創建は不詳ですが、701年の『続日本記』には「木嶋神」に記載があり、京都市の中でも古い歴史をもつ神社です。
古来より祈雨の神として信仰された神社と説明にありました。この日はちょうど神社の一の鳥居についたことから雨がふりはじめ、なんだか歓迎された気分になりました。
雨が降ると拒まれているとも感じますが、見方をかえれば雨は浄化も意味します。
写真
地下鉄東西線の太秦天神川駅をでるとすぐに一の鳥居が見えてきます。鳥居から神社までは数百メートルあります。
広い道に面して二の鳥居があります。
鳥居を入ってすぐの写真です。社務所がありましたが人の気配はありませんでした。御朱印やお守り授与などはされていないようです。
あるのはぽつんと自販機タイプのおみくじだけでした。
手水舎がなかったのですが、この石がそうだったのでしょうか?
立派な拝殿がありました。正面からみた写真と、拝殿の後ろから鳥居側をみた写真です。
拝殿をこえると本殿が見えてきます。他に人がいなかったのでゆっくり参拝できました。
神紋は「二葉葵(フタバアオイ)」で、上賀茂神社や下鴨神社など秦氏にゆかりのある神社は「葵」が入っています。
本殿から横を見ると三柱鳥居の上部が見えます。
三柱鳥居がある元糺す池の鳥居です。背後の森は元糺す森で下鴨神社より古いそうです。
竹の柵があり中に入ることはできませんが、その上から全容は見ることができます。なんとも神聖な雰囲気があります。
かつては湧水で満たされていたようですが、今は枯渇して底が見えています。古来からこの場所で禊ぎをおこなっていたようです。今は神事の足つけ神事・御手洗祭のときには地下水をポンプでくみ上げているそうです。
宇宙の中心をあわらす、神様が降り立った場所、宇宙の根源である天之御中主神を含む造化三神の三柱の神をあらわす、景教(キリスト教)と関係がある遺物、太陽信仰と関係があるなど、諸説いわれていますが詳しいことはわかっていません。
とても神秘的な鳥居なので、また良かったら行ってみてください。