第32回高野山参詣登山に参加しました。|町石道の動画♪

こんにちは(^-^)
東洋医学ライフを提案する蓬庵(よもぎあん)の和田です。

昨日は高野山まで登山してきました。曇り空で雨が心配でしたが、なんとか雨が降るまでにたどり着くことができました。参詣登山に参加された皆さんお疲れ様でした。知り合いの方にもお会いしましたし、フェイスブックのお友達の方も何名が参加されていました。

足に負担がかからないようにゆっくり歩いていたのですが、帰宅した頃より歩くと膝の裏側に傷みがでました。お風呂でしっかりマッサージもしたのですが、今日もまだ少し歩くと痛みが残っています。これは自分で治療ですね。鍼灸治療は筋肉痛や筋疲労にもとても効果があります(*^^*)

野球の試合後の筋肉痛で「もう限界、歩くだけで痛い。」と言っていた患者様が、治療後は「今なら野球ができる。」と帰っていきます。それぐらい効果があります。スポーツでの疲労やメンテナンスもお気軽にご相談してくだいね(^^)

私が今年に撮った写真を動画にしました。よかったらご覧ください。

スタートの慈尊院

高野山町石道

高野山町石道

記念の念珠・数珠

今年は走破証のスタンプがたまったので記念の数珠を頂きました。

高野山町石道

高野山町石道(こうやさんちょういしみち)は、慈尊院(和歌山県伊都郡九度山町)から高野山(和歌山県伊都郡高野町)へ通じる高野山の表参道である。弘法大師が高野山を開山して以来の信仰の道とされてきた。国の史跡「高野参詣道」として指定されている。ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部。

高野山への道標(道しるべ)として、1町(約109メートル)ごとに「町石(ちょういし)」と呼ばれる高さ約3メートル強の五輪卒塔婆形の石柱が建てられ、高野山上の壇上伽藍・根本大塔を起点として慈尊院までの約22キロメートルの道中に180基、大塔から高野山奥の院・弘法大師御廟まで約4キロメートルの道中に36基の、合計216基の町石が置かれている。慈尊院から数えて36町(1里)ごとには、町石の近くに「里石(りいし)」が合計4基置かれている。

町石は、弘法大師が開山した平安時代の頃は木製の卒塔婆だったと言われており、風雨にさらされるなどして老朽化したため、鎌倉時代の文永2年(1265年)頃に遍照光院の覚きょう上人が石造の町卒塔婆建立を発願し、20年の歳月をかけて弘安8年(1285年)に完成した。現在でもその8割以上にあたる150本の石柱が建立当時のまま残り、今なお昔日の面影を伝えている。

ウィキペディアより

 

コメント

  1. […] 前回の投稿に患者様からコメントを頂きましたのでご紹介させて頂きます。こういった感想は本当にありがたいです。 […]

  2. […] 第32回高野山参詣登山に参加しました。|町石道の動画♪ […]

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